読書感想文

原画展以来、手軽に持ち運べる文庫版を買ってムーミン童話をあらためて読み返している。


展示された原画を見て、
正直ぞくりとした。その感覚のわけを、もう一度確かめたくなったから
初心に戻って童話を読んでみようと思った。


白くて丸いムーミンが光や暖かさの象徴のような気がする、と思ったのはその逆を言えば
そのまわりには、闇、災害、不安、畏れ、と言ったものが存在しているということだ。
原画展では物語の挿絵だけ見たせいもあり、その暗さが浮き彫りになっているような気がした。
トーベ・ヤンソンはこのムーミンの童話を、誰のために書いた(あるいは描いた)のだろうかと思ったのだ。
子供のため?大人のため?家族や自分のため…?
そんなことを考えながら、童話を読んでいると、はじめて読んだ時とは違う読み方ができて愉しい。


『たのしいムーミン一家』や『ムーミン谷の彗星』を読んでいて思ったことは、
とても懐かしい感じがする、ということだ。


ムーミン谷の仲間たち』に収録されている「ぞっとする話」をはじめて読んだ時に感じたあの感覚。
子供時代、私はちょっと危険なこと、ちょっと怖いことが大好きな子供だった。
今でこそまるでフィリフヨンカみたいに、しなくてもいい心配まで先回りしてするようになってしまったが、
子供の時はマムシをつかまえて振り回したり、断崖があれば一番先にわざわざ立ってみたり、山の中に小さな洞穴を見つけると入らずにはいられない子供だった。
山で気味の悪い色の草や花を見つけるとつんで、石などでごりごりつぶして毒薬づくりをしたり。(注:本当に毒薬を作ったわけではないです)
小学校時代、ある朝びっくりするくらいの濃霧で、いつものように登校したのだが、
いくら進んでもあるべき場所に小学校が見えなかった。
上級生や下級生と道すがら
「学校なくなったんじゃない?」と誰を脅すともなく怖い冗談を言い合って
ふと後ろを振り返ると我が家も見えなくなっていて…
もしかしていくら歩いても霧の向こうには何もないのではないかとぞくりとしたあの感じ。
台風、洪水、雷、大雪、全部大好きだった。日蝕なんかも、なんだか怖くて好きだ。
太陽の恵みが欠けていくのって、楽しくて面白くて怖くて、この世の終わりだと昔の人が思ったのに共感できた。
高1の春ハレー彗星が接近したのを、明け方同級生と望遠鏡をかついで裏山に見に登った。
次は2061年、その時も見るぞ!と友達と誓いあった。(見られるかな?)
そういった子供時代のさまざまな体験が
どっと思い出されるようだった。
わかるわかる、そうそう、そうなんだよって。


はじめて読んだ時は、ムーミン童話のストーリーを追いかけるのに夢中だったのが
今回はまた全然違う魅力を感じた。
そして、私が子供の時そうだったように…どんなに「こわいこと」を空想したり、精一杯虚勢を張って危険なことをしたりしても、家に帰れば母がいたし、おいしいご飯の日常が待っていたように…
ムーミン童話も、どんな恐怖や脅威、災害があったとしても、
最後は暖かく、安心で、幸福に終わる。
その感じが懐かしいなと思った。


もちろん、これがムーミン童話のすべてではなく、ほんの一面に過ぎないと思う。
読んだ人の数だけのムーミン童話があるのだろう。
けど、私にとってのムーミン童話は、今はそんな感じ、懐かしい感じ。
ああ、すっごく面白い。
原画展に行って本当によかった。
東京にも絶対に行こう。また新しいムーミン童話の一面が見つかるかもしれないし。

…と、子供時代を思い出しながら童話を読んでいたら
どうしても使いたくなったので久しぶりに「夢見るムーミン」を使いました。


今の気分にぴったり。ちょっと怖いけど、好きって感じが。
あっ、「彗星」のチルドレンセットもいいかも!