芸術新潮

ひどい暴風で、外の景色がムーミンの世界のような日曜日です。


昼寝しがてら、『芸術新潮』でも読んで
ゆっくり過ごします。


豆を挽いて、コーヒーを淹れて、
迷わず新しいスニフのマグ。
この表紙の色じゃね〜


以下、感想。未読で読みたくない方は気をつけてください。
まず、その記事のボリュームにびっくりだ!
えぇと、14ページから118ページだから、105ページもの誌面が割かれています。
そして、ぱらぱらっとまずは絵や写真から見ていくにつれて

「やられた!参りました!」

って感じでした。
先日、図録と画集の比較のような記事を書いたのですが、
断言します、原画の表現・再現度・実在感に関して言えば「画集」より『芸術新潮』を推します。
正直、今まで雑誌という媒体を少し見下していたところがあったかも。
写真の質などは雑誌<写真集であって、その逆はありえないと。
雑誌なのに1500円もするの?と思わないではなかったのですが、『芸術新潮』に掲載されている原画は、「ムーミン展」で実際の原画を見たときの感動に
もっとも近い感動を覚えました。


吹雪の中のムーミンや冬のかがり火などのスクレイパーの絵などは、驚くべきことに、
その絵のもつ凹凸までもが再現されていて、
まるで目の前に原画があるようです。
本当にびっくりです…
「画集」では原画の紙質(紙の色など)、汚れ、下書きの鉛筆、ホワイトでの修正部分などはかなりが整理されている、と書きましたし、それはそれで「あり」なのかなと思っていたけど
個人的な好みで言うと「図録」の持つある種の乱暴さというか、紙色やホワイトで上塗りした部分がわかるような写真がより好きでした。ただ「図録」はひとつひとつの絵の掲載サイズが小さいこともあり、パーフェクトというわけではなかったのも事実。
そのより好きな部分が、『芸術新潮』では大事にされているというか、強調されています。
そうそう、「画集」だけ見ているときはあまり感じませんでしたが、『芸術新潮』には原画のサイズや技法、出典もきっちり記載されています。これはやっぱり嬉しい。
「あ、この絵は原寸大なんだ」とか「拡大してあるんだ」とかもわかりますし。
さすが、普段から芸術と名のつくものを扱う雑誌が編集するとこうなるんだ、という手本を見たような気がします。


原画のみならずその他の記事でも、綴じ込みで原画を生かした詳しいキャラクター図鑑があったり、
トーベ(誌内では「トーヴェ」と表記)・ヤンソンが手作りしたという、『彗星を追って(今の「ムーミン谷の彗星)』のダミー本の写真(初めて見た!)、同じ「彗星」の改訂版の写真、
初版と現在のカットの比較など、私は評論などを読まないので勉強不足のせいもあると思いますが
見たことない!!!というもののオンパレードで濃い内容だと思います。
アトリエや画材などの持ち物の写真や、「ガルム」の挿絵が検閲で引っかかって描き直しになった記事なども興味深く読みました。


ひとつだけ、個人的に「嫌だなぁ」と思ったのは
翻訳家の冨原眞弓さんが、新しく訳したという童話のタイトルや文。
正直今のタイトルに慣れているので、ちょっと蛇足というか、余計なこと、という印象が否めませんでした。
細かい注釈は読まずに流し読みしていたので途中までそのことに気付かずにいたのですが
天文台にいる学者が「教授」となっていたので「あれ?教授だったっけ?」と手持ちの本を見返して
原画に添えられている訳も新しくなっていることに気付きました。


例えば、
既訳「どうだ、あの彗星は、うつくしくないかね」
冨原訳「どうだ、うつくしい彗星だと思わないかね?」
……うーーーーーん。
前者の訳のほうが好きかなぁ、原文に忠実かどうかは別として。


ムーミン谷の夏まつり』の一節でも
既訳「ココには、わけのわからないことが、いっぱいあるわ。だけど、ほんとうは、なんでもじぶんのなれているとおりにあるんだと思うほうが、おかしいのじゃないかしら?」こうムーミンママは、ひとりごとをいいました。
冨原訳「ここには、わからないことが、いっぱいあるわ」と、ムーミンママはひとりごとをいいました。「でも、なんでもかんでも自分が慣れているふうでなきゃいけない、ということもないわね」


翻訳というのは好みの問題だとは思うのですが
どうなんでしょう、この2文だけでも、私は元の訳のほうが好きだなぁ。
改悪というほどではないにしても、何故そんな試みを『芸術新潮』でやらなければならなかったのでしょうか。「やってみたかった」のかな?海外作品の新訳バージョンの出版が相次ぐご時世で、冨原版の新訳が出る…というわけではないのですよね。
ムーミンパパ海へいく』について文中で冨原さんは「自分であらたに翻訳したいくらい」とおっしゃっていますので、これが彼女の偽らざる本音なのでしょう、ムーミンの翻訳を自分でやりたかった、という…でも正直、今回それをすることの意味がよくわかりません。
たとえ新訳が出たとしても、私は、何となくですが、今のもののほうが好きなのではないかという気がします。あくまでも個人的な好みの話です。訳者との相性の問題だと思います。(くだんの「グレッグ酒」は名訳だと思いましたが)
絵本のタイトルも記事の文中で
『それから、なにがあったかな?』『クニットをなぐさめるのはだあれ?』『なんでもありのふしぎな旅』にすり変わっていてややこしい!読むたびにかすかにイラッとしてしまいました。


それ以外の部分では、100余ページという誌面を割いているにしても
よく雑誌という媒体でここまで盛りだくさんの内容を掲載したな〜と感心するばかりでした。
私自身も色々なところで断片的に聞きかじった「ムーミントリビア」的な話(おそらく冨原さんの著作に書かれている内容が多いのではと推測しますが)、裏話などが
コンパクト、かつとっつきやすい形で、ぎゅぎゅっと詰め込まれています。
読者が芸術界でプロフェッショナルな方も多いでしょうから
生半可な記事は書けないし、作れないということなのかも。それにしても充実した1冊でした。
1500円と雑誌にしては高価ですが、もう1冊保存用に買おうかなと検討中です(笑)。


最後に…
最近「ムーミン展」やそれに纏わる書物、こちらの『芸術新潮』などを一気に見たり読んだりした熱っぽさのせいで、ついつい個人的な嗜好をむき出しにして
ともすれば否定とも取れるようなことを書きなぐってしまっていますが、
私個人としては作者、訳者、編者、主催、出版社等を批判する意図はいっさいないです。
MuuMiDouはあくまでも個人的な「好み」だけで書いているブログであることを、ご了承のうえ、気を悪くなさらないてくださればありがたいです。